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大平原の戦い [ぶくぶく]


太平記(上)

太平記(上)

  • 出版社/メーカー: グーテンベルク21
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: Kindle版


鎌倉に向かう新田さんが迎え撃つ幕府軍と戦ったのは、小手指久米川分倍河原。現在の武蔵野線新座辺りから府中本町辺りであり、地名もそのまま残っています。ここは私の地元でもあり、時々「北多摩大平原」と勝手に呼んでます(笑)。この「大平原」の中心にある小平などは、平らだからそういう名前がついたとか聞きましたよ。

ここが「大平原」であったから、大きな歴史的事件の少ない多摩地区で、数少ない歴史に残る合戦が行われたのでしょうね。指輪物語好きな私としては、さながら「ペレンノールの戦い」のようだったのではないかとつい妄想してしまいます。

雑木林も多かったとは聞きますが、開けた場所があれば、大軍同士が戦うには格好の場所だったのではないかと思われます。トトロの生息地の一つとして知られる?(^^)八国山などは、敵の動向を視察するには大変良い場所だったようで(8つの国を見渡せるから八国山だとか)、今も新田軍が陣を置いたとされる将軍塚なるものが残っています。久米川の戦いは、まさにその八国山の麓で起きています。

ちなみに、久米川とは柳瀬川の事だそうです。久米川駅から高校と大学に通った私も、柳瀬川の近くで育ったダーリンも、それは初耳学でした(^^;)

その久米川からほど近い所にある八坂神社、建立時期は不明とされますが、甲冑を来た武士の幽霊が出るという伝承があり、久米川の戦いの戦死者ではないかと言われています。

分倍河原の攻防の後、新田さんは、いよいよ鎌倉へ向かいますが、‥え、武蔵国分寺はこの戦いで焼失したのですと?!(現在は跡しか残ってませんね)

分倍河原(多摩川ですね)を越えるとそれまでの大平原は一変、丘陵地に変わり(現在でも車で江の島などに向かうとよくわかります)、その後の大きな戦いの舞台は幕府本拠地の鎌倉となります。
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